原点は反戦平和
への強い思い
1976年大阪市西淀川区生まれ。米エマーソン大学映画学科卒。
衆議院議員。2024年衆院比例代表近畿ブロックから当選。
参議院議員(1期)。2013年大阪選挙区から当選。
此花区生活と健康を守る会事務局次長、全大阪生活と健康を守る会連合会常任理事を歴任。
コソボ高校生の日本招聘プロジェクト事務局長、ラジオ派遣村村長代理。
在阪ラジオ局の映画解説番組でもシネマナビゲーターをつとめる。
参議院議員時代は、党参院国対副委員長、予算委員会理事、経済産業委員、ODA特別委員、党森友問題追及チーム責任者。
現在、党大阪府カジノ万博問題プロジェクトチーム責任者。
党衆院国対副委員長、総務委員、経済産業委員、原子力問題調査特別委員。
※比例代表近畿ブロック・定数28(大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山)
大阪市西淀川区生まれ。男ばかり4人兄弟の末っ子。小学生当時の将来の夢は「正義の味方」「ジャッキー・チェン」。周りを笑わせることが大好きなお調子者。
北野高校時代はラグビー部。花園への切符は逃したが苦しい練習に耐えたことは今に活きている。生徒会長としてバングラデシュのハンセン病患者支援のボランティアも経験。
大学はアメリカに留学。映画監督を目指して日々勉強。卒業後、ヨーロッパ、東南アジアなど世界をバックパックでまわった。一番印象に残った国はインドで、人々の生命力に圧倒された。
帰国後、映像関係の会社に勤務、その後戦火に苦しんだコソボの高校生を日本に招くプロジェクトに参加。NATO軍からの空爆を経験した高校生達の「米テロは当然の報い」という言葉に衝撃を受ける。武力行使は「憎しみの連鎖を作るだけ」。アフガン、イラク戦争にひた走る米国を唯々諾々と支援する日本政府の方針に怒りを覚えた。
自分も反戦の声をもっと挙げねばと、戦前から命がけで反戦の旗を掲げ続けてきた日本共産党に入党。
2003年、26歳で府議会議員選挙に挑戦し落選。その後も2007年、2011年と挑戦。その間、低所得者や生活保護受給者を支援する団体、「生活と健康を守る会」の事務局員として9年間勤務。生活相談の件数は7000件に上る。夫からのDVで食事も与えられずやせ細った女性からの相談や、多重債務で苦しむ方々の問題解決に奔走。「格差と貧困は100%政治が作り出した。解消する責任は政治にある」との思いを強くする。
「政治のおおもとを変えなければ」と2013年36歳で参院選に挑戦。大阪で「新自由主義」、「自己責任論」をかざし、戦前まがいの思想調査まで行った維新政治との対決。日本共産党としては15年ぶりに大阪選挙区で議席を獲得した。
当選後、国土交通委員会、経済産業委員会、予算委員会などに所属。「質問時間の1秒たりとも無駄にはできない」と挑んだ論戦は200回。貧困ビジネスである「脱法ハウス」に始まり、実情に合わない児童扶養手当の支給回数、コンビニ大手セブン-イレブンの労働時間切り捨てなど深刻な実態を告発し、改善を実現した。大阪市立住吉市民病院廃止、公立保育所・幼稚園の集約・統廃合など、維新政治のもとで苦しむ大阪府・市民の声、大阪北部地震での被災者の切実な声も国会に届けてきた。
2017年以来、森友疑惑追及チームの責任者として論戦。大阪府豊中市の国有地がどのようにタダ同然で森友学園(大阪市)へ売却されたのか、安倍政権の国政私物化を暴く。国側と森友側が値引きのための「口裏合わせ」をしていた、「価格の交渉はしていない」と言っていたことが虚偽だった、安倍晋三首相の妻・昭恵氏付きの政府職員が土地の賃料の優遇を求めていた―など入手した新資料を次々示し、政府に認めさせ、メディアも注目した。
家族は妻、1女、2男。
好物はマーボー豆腐。留学時代にチャイナタウンで食べたのが病みつきに。
趣味は映画鑑賞と格闘技観戦。映画べスト1は「ゴッドファーザー」。
ボクシング、総合格闘技観戦も楽しみ。貧しい家庭に生まれたボクサーが、厳しい減量の中で闘う姿に感情移入する。好きなボクサーはマニー・パッキャオ。
留学生時代に長距離バスでアメリカ大陸を横断。帰国後もお金を貯めてヨーロッパやアジアの国々をバックパッカーの一人旅で訪問。知らない所に行くのが好きで、裏通りや市場などを自分の足で歩くのが何より。